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2009年11月27日金曜日

学校で友達がいなかった⇒卒業後転居⇒同窓会で行方不明扱い

私は大卒です。当然、高校、中学校、小学校も卒業しています。ですが、一部の学校からは同窓会の通信が一度も届いたことがありません。また、通信が全く届かないので、そもそも同窓会が存在するかどうかすら知らない学校もあります。

これは、私が高校卒業後、実家ごと引っ越したことが関係しているのでしょう(ただし、遠い県外などに引っ越したわけではありません)。高校、中学校、小学校の同窓会は我が家の旧住所しか知らず、同窓会の通信を私宛に送付しても、転居先不明で戻ってきたに違いありません。

しかし、それだけではないだろうと思います。私が友達がいなかった(or 少なかった)ことも、関係しているのではないかと思います。

つまり、たとえ実家ごと引っ越しても、小学校~高校時代に友達がいて、しかも卒業後も交流が続いていれば、その友達を通じて同窓会の情報を得るなり、自分が同窓会の行方不明者リストに載っている事実を知らされたりして、同窓会事務局に転居先を知らせる、ということもできようというものです。

とにかく、母校の同期の卒業生の中に、私の新しい連絡先を知る人がいません。昔の同級生等との交流がいかに希薄かが、よく分かります(というか、交流なんて全くない)。

なお、私は同窓会に参加したいと思ったことはあまりありません。学校に通っていた頃は友達がおらず、たとえ同窓会に出たとしても孤立してしまうだろうから、というのが理由の一つです。もっとも、これなら、同窓会で行方不明者扱いされても、大きな問題はないような気もしないまでもありません。

2009年10月29日木曜日

友達いないと、就職に不利か

今朝の『日本経済新聞』朝刊第29面「経済教室」(著者:有賀健・京都大学教授)に、高卒者のキャリア研究に関する記事が掲載されました。有賀教授と、大竹文雄・大阪大学教授、佐々木勝・大阪大学教授、黒澤昌子・政策研究大学院大学の共同研究にもとづく考察です。

詳しい説明は割愛しますが、有賀教授らの調査の結果、学業成績がよい、クラブ活動に熱心に取り組む等の特徴を持つ生徒は、統計的に正社員として就職する者の割合が有意に高いことが分かったそうなのですが、そうした特徴としてほかに、「友人の数が多い」というものもあったそうです。要するに、友達の数が多い生徒は、正社員として就職する率が高いということです。

友達の数が多いことを採用面接で話すことによって、採用担当者は「この人は社会的スキルがある」と判断して採用されやすくなるのか(シグナリング理論)。それとも、高校時代に友達とともに過ごす体験を多く持つことによって社会的スキルが身につき、採用試験の場でその高い社会的スキルが採用担当者に評価されて、採用されやすくなるのか(人的資本論)。

いずれにしても、友達がいないような高校生は、就職活動ではどうも不利なようです。もっとも、「学業成績がよい」など他の面でカバーできれば問題ないのですが。

それにしても、高卒で就職を考えている人に、「お前ら、友達が多い方が就職に有利だから、就職対策に友達を作れ!」と指導することはできなさそうです。

2009年10月16日金曜日

「人との交流はあなたを賢くする」

「人との交流はあなたを賢くする」というニュース記事を読み、少し落ち込んでしまいました。

これは、アメリカの VOA News というニュースサイトに2008年2月28日に掲載された Socializing Makes You Smarter という記事のことです。

この記事は無料で読むことができます。このサイトから記事に直接リンクを貼りたいのですが、できなさそうなので、しないことにします。

このニュース記事の最後に書かれた Personality and Social Psychology Bulletin という学術雑誌に掲載された研究とは、2008年の第34号248-259ページに掲載された Mental exercising through simple socializing: Social interaction promotes general cognitive functioning(単純な交流を通じた頭の体操:社会的交流は一般的な認知機能を促進する)のことです。

Ybarra, O., Burnstein, E., Winkielman, P., Keller, M.C., Manis, M., Chan, E., & Rodriguez, J. (2008) Mental exercising through simple socializing: Social interaction promotes general cognitive functioning. Personality and Social Psychology Bulletin, 34, 248-259.

この論文も私は一通り読んだのですが、上の新聞記事の元ネタといっていい内容でした。加えて、この論文では、先行研究をもとに、人付き合いが心身にプラスに影響すること、逆に人付き合いが少ないとマイナスに影響することが書かれており、私のような友達が少ない人生を送ってきた者が読むと、落ち込むこと請け合いです。

2009年9月27日日曜日

一人の時間がとれなくなるとフラストレーションが

私に友達がいなくなってから変わったことの一つは、一人の時間を極端に好むようになったことです。

これまでにもお話したように、私は少し変わった性質で、友達がいなくなってから、一人でいることにかえって喜びを見出すようになってしまいました。一人の時間がそれまで以上に楽しくなったのです。

一人で時間を過ごして、いったい何が楽しいのか、と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

私のように一人でいることが多くなると、一人での時間の使い方を考えるようになります。そのうち自分一人でしたいことがたくさん出てきて、時間を持て余すということがなくなってしまいます。具体的に言うと、私は自分のための勉強をしたり、読書をしたりして過ごすようになりました。勉強に終わりはなく、時間はいくらあっても足りません。時間の使い方としても、勉強なら有意義と言えるでしょう。

しかし、こうした一人の時間が、例えば周囲の人との(たまの)付き合いなどの理由でとれなくなると、今度はフラストレーションがたまりやすくなってしまいました。また、人と一緒に時間を過ごすことは、時間の無駄遣いではないかとさえ思うことが多くなってしまいました。

そうして、人付き合いを避け、ますます独りで過ごすようになっていったのです。

もちろん、一人の時間が全くとれなくなると辛いと思う人は少なくないでしょう。ただ、私は人並み以上に一人の時間を好む傾向が強くなってしまったのではないかと、そう感じます。

2009年8月24日月曜日

忘れ物を、友達から借りる

学校では、教科書などの忘れ物をすると、他のクラスの友達に借りる子がいます。

私はそのようなことは、一度もしたことがありません!



…というのも、他のクラスに友達が一人もいなかったからです。このため、逆に、忘れ物を友達に貸したこともありません。

忘れ物をした場合、友達から借りるのと、誰からも借りないのと、どちらが望ましいのでしょうか。友達から借りると、忘れ物をしたゆえに授業についていけなくなる、ということはなくなりそうです。一方、誰からも借りないと、自分の失敗の責任は自分でとることになるわけで、これもこれで良いことのようにも思われます。

* * * * * * * * * *

ところで、学校に通っていた頃の私は忘れ物が非常に多い子でした(宿題等は忘れなかったのですが)。少なくとも先生に報告があった分では、クラスの忘れ物の半分以上は私によるものでした。

どうしてこんなに忘れ物が多かったのか、自分でもよく分からないのですが、もしかしたら他の児童生徒の中には、忘れ物をしても先生に報告せず、友達から借りて間に合わせていた子が少なくなかったことが、原因の一つなのかもしれません。友達がいなかった私にはそうしたことができず、どうしても忘れ物の報告が多くなってしまったのかもしれません。

ただ、それにしても、あまりに忘れ物が多すぎです。きっとそれだけが原因ではなかったのだろうと思います。こうした子は、場合によっては、ADHD(注意欠陥/多動性障害)を疑うべきかもしれませんが、おそらく私はそうではなくて(自己診断ですが)、ただの不注意だったのではないかと思います。

なんだか、まとまりのない話になってしまいました。

2009年8月14日金曜日

『大人も知らない「本当の友だち」のつくり方』

大人も知らない「本当の友だち」のつくり方 (こころライブラリージュニア)Amazon.co.jp のカスタマーレビューがあまりに好評だったので、『大人も知らない「本当の友だち」のつくり方』という、中高生女子を対象とした本を思い切って買ってみました(相当思い切って買いました)。

このブログを書く上で、何か参考になりそうなことが書かれてあるのではないかと思ったからです。また、私自身、上手な人間関係を築けず、なんとかしたいと常々思っているからです。

本を読んだ感想ですが、残念ながら、この本は既に友達がいる人や、最低限の人間関係を築くことができている人を主な対象としたもののようでした。友達がいない子にも役立ちそうな内容が全くないとは思いませんが、やはり念頭に置かれている読者の対象が違うと感じます。

また、読者がある意味健康な人であることを前提とした内容で、例えば不安や緊張を非常に感じやすく極端に引っ込み思案であるとか、場面緘黙症であるとか、そうした人は、この本で書かれている方法を実践しようにも、できないでしょう。

* * * * * * * * * *

とはいえ、既に友達がいるけれども、もっと心を通わせられるようになりたいとか、そう思っている人には、参考になりそうなこともたくさん書かれてあります。

専門用語で言えば、「アサーション」についての本と言えばいいでしょうか。

マンガが数多く挿入されているという理由で、内容の信頼性に不安を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、この本で紹介されている方法は、アメリカの社会学者、リンダ・アダムスが創った「自己実現のための人間関係講座」というプログラムで学ぶ内容だそうで、なかなか本格的です。そして、著者の松本啓子氏はプロのカウンセラーです。タイトル通り、この本の内容には、本当に「大人も知らない」ものも含まれているだろうと思われます。

マンガで実例(成功例、失敗例)を挙げて説明しているところが実に分かりやすいと私は感じたのですが、当の中高生女子がどう感じるかは、さすがに私には分かりません。

2009年7月29日水曜日

『緘黙・孤立児』

本昭和49年という、30年以上も前に刊行された本ですが、『情緒障害児の教育(1)-緘黙・孤立児』という本があります。大学等教育機関に所属している方や幼稚園・学校の教師らが執筆した本で、編者は「全国情緒障害教育研究会」。出版社は日本文化科学社です。

およそ200ページからなる本ですが、このうち後半およそ100ページが、このブログのテーマと重なる「孤立児」に関する内容です。

幼稚園・学校の教師や専門家を対象に書かれたと思われる本で、孤立児の概念、孤立の諸相等といった孤立児全般に関する論考に加えて、孤立児の事例研究が何例も載っています。

もう30年以上も前の本で、この本の議論は今日でも通用するものなのかどうか私には判断できませんが、類書は私の知る限りほとんどなく、貴重な本ではないかと思います。

「孤立児」という言葉ですが、本書には「孤立児ということばは、児童臨床ではあまり用いられていない」(109ページ)とあります。CiNii(国立情報学研究所の論文データベース)で検索しても19件しかヒットせず、やはりあまり一般的な用語ではないようです。「孤立」であればCiNii で5,000件以上もヒットするのですが、この中には「核兵器 北朝鮮は孤立していない」など、関係ないものも数多く含まれています。

なお、この本の前半にまとめられてある「緘黙」ですが、これは心理的なことが原因で話さない(話せない)ことです。多くは、やはり子どもの問題です。緘黙について関心のある方は、姉妹サイト「場面緘黙症Journal」をご覧下さい。

場面緘黙症Journal
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2009年7月11日土曜日

家庭でも孤立

学校等で友達がいない子というのは、家庭ではどうなのだろうかと思います。

外では人付き合いがうまくいかなくても、家庭では家族とうまくやっているのか。それとも、家庭でも孤立しているのか。

* * * * * * * * * *

私の場合、後者でした。

私は子どもの頃から、母とは相性が悪いです。母も、「あんたとは相性が悪い」と私に話しており、お互い相性が悪いことを認め合っています。

一日で最も多くの時間を家庭で過ごすのは専業主婦の母でしたから、この母と相性が悪かった私は、当然、家庭で孤立しがちでした。私が10歳のときに父が亡くなり、母が一家を取り仕切るようになると、この傾向に拍車がかかりました。母は私を遠ざけ、私も私で母を避け、一人でいることを好むようになりました。どうりで私は孤食が好きなわけです。

親子とて人間同士ですから、相性の良し悪しぐらいあるのは当然のことです。また、親とて聖人君子ではありません。上の子よりも下の子ばかりかわいがってしまったり(その逆もあるでしょう)、女の子よりも男の子ばかりかわいがってしまったり(逆もあるでしょう)、そうしたことも往々にしてあるものだろうと思います。

私が学校で孤立することが多かった原因の一つは、もしかするとこうした家庭内の人間関係にあったのかもしれません。家庭で孤立しているのに、学校では友達が多いとか、そうしたことはあるのでしょうか?いや、反抗期の子どもには、こうした子は多いかもしれないとも思います。なんだか分からなくなってきました。

※ 久しぶりの更新になってしまいました。

2009年6月25日木曜日

友達は勉強の邪魔か、友達は勉強のプラスになるのか

私は小学校から大学まで通いましたが、その中で「友達は勉強の邪魔である」とおっしゃる先生と、「友達は勉強のプラスになる」とおっしゃる先生がいらして、いったいどちらの先生がおっしゃることが正しいのだろうと混乱しました。

前者の先生の主張は、勉強友達など作ろうものなら、馴れ合いに終わってしまうとのことです。後者の先生の主張は、友達の存在により分からないことを教えあったり、励ましあったりできるとのことです。前者は性善説、後者は性悪説とも思えます。

「友達がいない子」で扱う年齢層の子どもよりも少し年齢が上の子の話になりますが、私が高校のときなどは、「周りに流されてはいけない」などと言われたものです。というのも、私の高校にはあまり勉強熱心な生徒が多くはなかったためです。このような環境だと、どちらかと言えば、「友達は勉強の邪魔である」という方に傾きやすそうです。私などは、高校時代、友達がいなくてもほとんど寂しいと感じませんでしたし、実際に友達もいなかったため、友達の「同調圧力」(peer pressure)を感じることなく、一人で勉強に集中していたのでした。

なお、友人関係が学業に及ぼす影響については学者の間で研究がなされているようです。次の文献は少々専門的な内容で難しいですが、これまでの研究成果がまとめられ、批判的に検討が加えられていて、勉強になります。

◇ 石田靖彦(2005)「児童・生徒の友人関係が学業達成に及ぼす影響」『愛知教育大学研究報告』54(教育科学編)109-115。
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2009年6月12日金曜日

友達が健康に及ぼす多大な影響

友達といっても、子どもの話とは少し違うかもしれませんが、友達がいることが健康に大きなプラスの影響を及ぼす等々のことが書かれた記事が、今年4月、アメリカの新聞 New York Times に掲載されました。

What Are Friends For? A Longer Life
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この記事を読んでいると、私のように友達がいない人間は、病気にかかるリスク等が高くなってしまうのではないかとも思えてきます。

ほとんど友達がいない人生を送ってきた私にとっては、あまり認めたくない記事です。というわけで、この記事に、いちゃもんをつけてみます。

まず、いくら友達がいる方が健康にいい影響があるからといって、例えば私のような孤独好きの者が無理に友達を作って友達付き合いを始めたら、かえって健康が悪化してしまうのではないかという素朴な疑問を感じます。

また、友達がいる人の多くは、友達を欲していて友達を獲得できた人ではないかと思います。一方、友達がいない人の中には、私のように友達がいない生活を好む人もいるでしょうが、多くはそうではなく、友達が欲しいのにできないという人ではないでしょうか。これだと、両者を比較して前者が健康的という研究結果が出るのも、もっともではないかと思えます。

※ 研究結果、論文、直接読んでいないのに論評しています。本当はよくありません…。

とはいえ、一般に友達がいる方が健康にプラスというのが、専門家の見解のようです。ただし、これは日本の話ではないので、一定の留意が必要です。

2009年6月3日水曜日

友達がいない in 英語圏

友達がいなくて悩んでいる人は日本だけでなく、英語圏の国や地域にも多いようです(考えてみれば、別に不思議なことではありません)。

検索エンジン Google の英語版で、検索フォームに "i have no" と入力すると、検索候補の上位3番目に "i have no frines" が出てきます。

Google
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Yahoo!知恵袋の元祖とも言うべき、Yahoo! Answers で "I have no friends" と検索すると、友達がいなくて悩んでいる人たちの質問が数多くヒットします。

Yahoo! Answers
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※ 参考までに、Yahoo!知恵袋
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* * * * * * * * * *

英語圏のサイトには、wikiHow という、誰でも編集できる(Wikipedia のように)ハウツーを示したマニュアルサイトがあるのですが、このサイトに "How to Cope With Having No Friends"(友達がいないことに、どう対処すればよいか)というページがあるのを発見しました。分かりやすく具体的にまとめられていて面白いのですが、残念ながら英語のみで、日本語訳はありません。

How to Cope With Having No Friends
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とりあえず、機械翻訳のページへのリンクを貼っておきます。これらを使えば、ぎこちない日本語訳でありながらも、なんとか読めるかもしれません。

Google 翻訳
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なお、wikiHow には日本語版もあるのですが、英語版に比べると記事の量がまだ圧倒的に少ないです。これからの発展を期待します。

2009年5月26日火曜日

ブック検索で「友達ができない」と検索してみた

Google ブック検索で「友達がいない」と検索してみました。検索結果で出てきたもののうち、個人的に面白そうだと思ったものを取り上げ、コメントします。

◇ 金美齢(2007)『日本は世界で一番夢も希望もある国です!』PHP研究所。
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留学生(特に大学生)へのアドバイスのようですが、もう少し年齢が若い子どもに対しても通用するアドバイスだろうと思います。ただ、あまりに内気な子だと、自分から声を掛けるのは簡単なことではないだろうと思います。そこを勇気を振り絞って声をかけられれば、いいのです。

◇ 晴山陽一(2007)『晴山陽一の英語ことわざコレクション』三修社。
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このことわざ、思わず笑ってしまいました。ですが、金があると人が寄ってくるという意味であればよく分かります。反対に、お金もない、社会的地位もない、人生の挫折期だ等々のときに心から仲良くしてくれる人があれば、その人は真の友となりうると思います。話が「友達がいない子」とは少しずれてしまいました、すみません。

◇ 鈴木吉美(2001)『じくじたる-人生のイエローカード-』文芸社。
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前のページの「仲間」から読むとよいでしょう。

◇ 河原俊昭(2004)『自治体の言語サービス-多言語社会への扉をひらく-』春風社。
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友達がいない子は、ネイティブ日本人ばかりではありません。考えさせられました。

[関連記事]

◇ ブック検索で「友達がいない」と検索してみた(1)
◇ ブック検索で「友達がいない」と検索してみた(2)

2009年5月14日木曜日

一人はみんなのために、みんなは一人のために

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」(One for all, all for one)

Wikipedia(英語版)を読むと、どうもこれはラテン語の "Unus pro omnibus, omnes pro uno" が由来のようです。アレクサンドル・デュマの小説『三銃士』でも著名な言葉です。

この言葉を良いと思うかどうかに、その人の価値観が現れるだろうと思います。多くの人、特に友達を大事にする人などは、「人は一人では生きていけない」などとして、この言葉を名言とするでしょう。一方、私などは単独行動を好むタイプなので、どちらかと言えば馴染みません。そのときの気分によっては、「自分のことは放っておいて、好きにさせておいてくれ」と考えることさえありそうです。

また、この言葉が適切かどうかはTPO(時・場所・場合)にもよるでしょう。チームスポーツでは、この言葉が大事にされることもあるでしょうし、それももっともなことだろうと思います。実際、ラグビーなどではこの言葉は有名だと聞きます。

意外なところにも、この言葉は使われています。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の憲法には、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」が明文の中に出てきます。なるほど、この言葉を憲法に掲げるような国は、社会主義、共産主義という感じがします。私がこの言葉に少々違和感を感じるのも、このためかもしれません。また、先の Wikipedia(英語版)によると、資本主義国家ですが、スイスでこの言葉が標語とされているそうです。

2009年4月29日水曜日

人に関心を寄せると、相手も自分に関心を持ってくれる、か

人を動かす 新装版デール・カーネギーの名著『人を動かす』は、原題を How to Win Friends and Influence People といいます。直訳すると、『友人を得て、人々に影響を与える方法』です。友達作りの方法も書いてあると言っていいでしょう。

さて、この本に書かれてある「人々があなたを好きになる6つの方法」(Six ways to make people like you)の一つに、「心から他の人々に関心を寄せる」(Become genuinely interested in other people)というものがあります。人に関心を寄せると、相手も自分に関心を持ってくれるということのようです。分かるような気がします。

※ 私は、『人を動かす』の原著は持っているのですが邦訳書は持っていません。このため、邦訳書でどう訳されているのかは分からず、我流の訳を載せています。分かりにくい訳で、すみません。

しかし、わが身を振り返ってみると(このブログのタイトルは「友達がいない子」なので、子ども時代を中心に振り返ってみます)、必ずしもそうでもなかったようにも思います。特に異性の友達(恋人じゃありませんよ!)を作るという話になると、なおさらそうだったように思います。

友達を作るにも、やはり両思い、片思いというのがあって、「思えば思わるる」のようにはなかなかいかないのではないかというのが実感です。あくまで私の場合、の話ですが。

子どもが『人を動かす』を手に取ることはあまりないでしょうが、大人がこの本をヒントに、友達ができない子にアドバイスをする、ということはできそうです。また、『人を動かす』にはティーンネイジャー版(女の子向け)『13歳からの「人を動かす」―人に好かれる女の子になる8つのルール』もあるそうです。

なお、緊張が強すぎて友達ができにくい子の場合、こうした本を読むよりも、緊張を治す方が先決ではないかと私などは思います。

2009年4月21日火曜日

社会性を育むには、大規模校と小規模校、どちらがいいのか

先月、近くの小学校の3学期終業式の様子をテレビで見ていたところ、驚きました。終業式に参加している児童の数が非常に少ないと感じたからです。

そこで、インターネットでその小学校の児童数を調べてみたのですが、その学校の児童数は1学年およそ20名しかいないことが分かりました。当然1学年は1学級で、きっとクラス替えも6年間ないのでしょう。

私の出身小学校は、中~大規模校でしたから(私は転校を経験しており、出身小学校が多数あります)、さすがに現在でもこの小学校ほど児童数は少なくはないのですが、それでも現在は、私がいた頃に比べれば、児童数は大幅に少なくなっています。少子化の影響に違いありません。

団塊の世代の時代は、小学校の児童数は私の頃よりもさらに多かったとも聞きます。しかしそれより前の時代になると、児童数はそこまで多くはなかったそうです。

■ 子どもの社会性を育むには、大規模校と小規模校、どちらが良いのか

子どもの社会性を育むには、大規模校と小規模校、どちらが良いのだろうかと素朴に疑問に思います。

大規模校だと様々な人と触れ合う機会が増えるでしょうが、希薄な付き合いになりやすそうです。また、クラス替えにより、人間関係が良くも悪くも変わりやすくなりそうです(クラス替えの頻度の多寡は学校にもよるのでしょうが)。さらに、多様な教師と接する機会が増えそうですが、教師は児童一人一人に目が行き届きにくくなるかもしれません。

一方小規模校だと、限られた人と触れ合うことしかできませんが、濃密な付き合いができそうです。また、クラス替えを行っても、人間関係が良くも悪くも固定化しやすそうです。さらに、多様な教師と接することはできなさそうですが、教師は児童一人一人に目が行き届きやすくなりそうです。

■ 専門家の見解は?

教育の専門家はこのあたり、どのように考えているのでしょうか。私なりに調べてみたのですが、今のところはよく分かりませんでした。

ただ、とある論文によると、中学校では、大規模校の方が小規模校よりも不登校、いじめ、校内暴力、非行といった問題がよく起っているというのが、先行研究の示すところだそうです(久能, 佐藤, 2002)。

[文献]

◇ 久能弘道 & 佐藤美鶴 (2002).へき地・小規模校における不登校へのアプローチ. へき地教育研究, 57, 79-90.

2009年4月12日日曜日

ブック検索で「友達がいない」と検索してみた(2)

前回に引き続いて、Google ブック検索で「友達がいない」と検索し、個人的に面白そうだと思ったものを取り上げ、コメントします。

◇ 星野仁彦(2006)『気づいて! こどものこころのSOS』ヴォイス。
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もうすぐ五月病の季節ですので、こうした子には気をつけたいものです。子どもの心の問題に関する文献を調べていると、ときどき星野氏の名前を見かけます。有名な方なのでしょうか。

◇ 力丸周(2002)『ドレミで子育て』文芸社。
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専門家の意見です。勉強になりました。

◇ 加藤諦三(2007)『いじめに負けない心理学-いじめられずに生きるために気づくべきこと-』PHP研究所。
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友達がいなかった私に仲良くしてくれようとした子がいたのですが、むしろ彼ら・彼女らの中に、この炭焼きのような人もいました。自分が好きなことに一方的に私を巻き込もうとし、困ってしまったことがあります。もっとも、彼ら・彼女らにしてみれば、何をすれば私が喜ぶだろうか分からなかったのかもしれません。私は極度の内気で、学校では何も話さない子だったので。

なお、「炭やきと羊毛をさらす人」は、岩波少年文庫から出ている『イソップのお話
』(河野 与一訳)などで読むことができます。

◇ 菅原裕子(2007)『子どもの心のコーチング-一人で考え、一人でできる子の育て方-』PHP研究所。
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一部、同意です。友達を作るなら、自分から心を開くことは確かに大事だろうと思います。友達がいない子の中には、こうしたことに案外気づいていない人がいるかもしれません。

2009年4月4日土曜日

ブック検索で「友達がいない」と検索してみた(1)

Google ブック検索で「友達がいない」と検索してみました。検索結果で出てきたもののうち、個人的に面白そうだと思ったものを取り上げ、コメントします。

◇ 桜家章(2006)『ララーイ-バンコクの幻影ー』文芸社。
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言葉遊びのようですが、「友達」の意味をかなり厳しくとる人の場合、「自分には友達が少ない」と思う傾向が強いのではないかと思いました。タイの人の場合、これとは逆らしいです。

◇ 高田広之進(2002)『心を育てる子育てマニュアル』吉備人出版。
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者は精神科医、臨床心理士であり、これは専門家の見解と言えます。

私などは、中学3年どころか、いまだに親友と言える人に出会ったことがありません。まるで自分のことを言われているようで、「ひどい言われようだな」と感じてしまいますが、なにしろ専門家の見解です。

診断を受けたことはないのですが、私は統合失調症や軽度発達障害はなかっただろうと思います。そうでもないのに親友がいたことがないとは、子育ては失敗だったのでしょうか。実際、私の親はときどき私の言動を見て「情操教育が間違ったのだろうか」と漏らすことがあります。ただ、情緒障害(場面緘黙症、選択性かん黙)の疑いはありましたが。

◇ 中村麻衣子(2001)『神様のおもちゃ箱』文芸社。
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友達がいない人、相変わらずひどい言われようです。友達がいなくて満足していた私からすれば、筆者の意見には全く共感できません。

友達がいる方がいいのか、いない方がいいのか、これは難しいところです。友達がいる人生といない人生を両方経験して、比べることができればいいのですが、そんなことはできません。人生は一度きりなので。

私の人生には、友達がいた時期とそうでない時期がありますが、どちらかと言えば後者の方が自分にとって良かったと自分では思っています。こんな風に考えるの、やっぱり変わってるのでしょうか…?

2009年3月31日火曜日

内気なまま育ってしまう子と、そうでない子

論文読んでました。読んだ感想のようなものをまとめます。

Degnan, K.A., Henderson, H.A., Fox, N.A., & Rubin, K.H. (2008). Predicting Social Wariness in Middle Childhod: The Moderating Roles of Childcare History, Maternal Personality and Maternal Behavior. Social Development, 17(3), 471-487.

これは引っ込み思案児や友達がいない子というよりも、行動抑制的な子、言ってみれば内気な子に関する研究です。ですが、引っ込み思案児の中には、行動抑制的傾向から友達ができない子もおり、全く無関係ではありません。

この論文、私には難しくて、細かいところがどうも分からないのですが(私は専門家ではないので…)、概要はなんとか把握しました。

研究結果より、特定の母親の特徴や行動傾向が、子どもの行動抑制を強化させている…とは、確かに考えられます。しかし、別の可能性も考えられます。例えば、もしかしたら、母親と子どもの間で不安な気質が遺伝しているのかもしれません。この論文の著者は、遺伝の関与の可能性は重視していないようですが…。行動抑制に関する研究動向は欧米の場面緘黙症に関する研究でも引用されることが稀にあるのですが、こちらではむしろ遺伝が重視される傾向があると感じます。この差は何なのでしょうか。

行動抑制に関する研究動向は、母親との関係に注目したものばかりではないと思います。ただ、今回の論文は、メリーランド大学の「子どもと家族関係研究所」(Laboratory for the Study of Child and Family Relationships)らの研究グループによるものなので、こうしたグループによる研究は、自然とそうしたことがテーマになるのかな、と思います。

※ 内容を少し書き改めました。それから、テンプレートも変えました(2009年4月1日)。

2009年3月19日木曜日

友達がいない子の卒業式

私は、小学校卒業時に友達が2人いたものの、中学、高校卒業時には友達がゼロでした。

友達が少なかった私にとって、卒業式で仲間と離れ離れになることへの特別な感情はほとんどありませんでした。これまでの自分自身について思いをめぐらしたり、受験のことを考えたりと、ほとんど自分のことばかりを考えていました。卒業式が終わった後、小学校の時は友達と一緒に写真を撮ったりしましたが、中学、高校では友達がいなかったので、そのまま家までまっすぐ帰ってしまいました。

学校を卒業して何年も経った後、ひょんなことから、卒業アルバムに寄せ書きのページがあるらしいという話を知りました。そこで昔の卒業アルバムを引っ張り出したところ、なるほど、確かに余白のページがありました。もちろん、私の寄せ書きページは真っ白です。このようなことを、卒業して何年も経った後に始めて知るとは、妙なものです。

卒業式特有の仲間との連帯感とは私はほとんど無縁でした。友達なんていない方が楽しいと常々思っていた私も、このときばかりは少し寂しい思いもしないではありませんでした。私は1か0かで割り切れる人間ではなく、中途半端なところがあります。もっとも、今にして思うと友達づきあいを捨てた分、何か得られるものもあったはずで、これはこれでよかったのではないかとも思います。

それにしても、友達がいる、多い子どもが一体どういう卒業式を迎えているのか、私にはよく分かりません。

2009年3月17日火曜日

友達を持つ唯一の方法は…

友達を作る唯一の方法は、友達になることである。

The only way to have a friend is to be one.

アメリカの哲学者、詩人、ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson, 1802-1832)の言葉です。

含蓄が深い言葉です。

その人と友達になりたいと思ったら、自分からその人の友達になれ、ということでしょうか。相手にとっていい友達になりたいものです。

もっとも、これは相手の気持ち次第という面もあります。いくらこちらがその人の友達になろうとしても、相手にその気がなければどうしようもありません。このように、こちらの気持ちは必ずしも相手には届かないかもしれませんが、その人と友達になりたいのであれば、こうした努力が大事なのでしょう。

相手から自分の友達になりたいと思ってくれないかなと、ただ期待だけしているようではなかなか難しそうです。しかし、極端に内気な子だと、どうしても自分から行動に移せないことも多いかもしれません。

もっとも、普通はここまで深く考えなくても、自然に友達ができることも多いようにも思います。もちろん、中には特別な努力をしなければ友達ができない子もいるだろうと思うのですが。

[蛇足]

彼女(彼氏)を作る唯一の方法は、彼氏(彼女)になることである

上のパロディです。この人とお付き合いがしたいと思ったら、自分からその人の恋人になれ、ということでしょうか。難しそうです。やはり友達を作るのと、恋人を作るのは違います。

[関連記事]

◇ その人に好かれたいなら、好意を示せ、尽くせ、与えよ

2009年3月10日火曜日

友達は努力して作るものか、自然にできるものか

友達って努力してつくるものじゃないですよね。自然に、なんとなく気があってっていう感じだと思うんです。

石崎朝世編(1996)『友達ができにくい子どもたち』、すずき出版。

友達は努力して作るものなのでしょうか、それとも自然にできるものなのでしょうか。

私自身は、10年以上友達がいなかった時期があるため、友達は自然になんかできないと考えたくなります。ですが、世の中には自然に友達ができたという人も大勢いるようです。

おそらく、両方ではないかと思います。努力して作ることもあれば、自然にできることもあるのでしょう。ただ、いくら努力して友達を作ろうとしたところで、結局は相手と気が合わなければ、その人と友達として長く付き合うことはできないのではないかと思います。

友達ができにくい子どもたち』を読むと、子どもによって、特別努力をしなくても自然に友達ができやすい子と、そうでない子がいるのではないかと思えてきます。子どもの頃、自然に友達ができたという人は、おそらく前者のタイプだったのでしょう。私のように、ほとんど友達がいない子ども時代を送ってきた人は、意識的に友達を作らないようにしてきた人を除けば、後者のタイプだったのでしょう。

友達ができにくい子どもの場合、本人が特別な努力をしたり、場合によっては、親が手助けをしたり専門家が介入したりしないと、なかなか友達を作ることはできないだろうと思います。上述書でも、「だから、そういう感覚が遅れてしまっていたらやっぱり親が、そういう場をつくっていくように努力する」と、ある母親は話しています。※「そういう感覚」とは、「自然に、なんとなく気があって」という感覚のことです。

2009年3月3日火曜日

みんなと、離れたところに住んでた

幼い頃、私が住んでいた家の近くには団地がありました。団地には子どももたくさん住んでいました。

私が住んでいた家はその団地近くの小さな一戸建てでした。団地とは少し離れたところにあったため、団地の子どもたちと交わるには、(小さな子どもにとっては)少し遠出をしなければなりませんでした。もっとも、団地まで遠出をしなくても、近所には少ないながらも子どもがいたので、私はそうした子たちと静かに遊んでいました。こうして団地の子どもたちはたくさん友達を作って仲良く遊んでいたのに対して、私は少ない子どもたちと静かに遊んでいたわけです。

私が幼稚園に入ったとき、ちょっとしたショックを受けました。幼稚園には団地の子がたくさんいて、そうした子はすでにお互い顔見知りで仲良くしていたのです。一方の私は、園に知っている子どもはほとんどいなかったので、みんなの間に溶け込むのに遅れをとることになってしまいました。

しかし、こうしたハンディを大きく感じていたのは最初だけで、その後小学校に入学し、子どもたちと2年、3年と一緒に同じ学校で過ごすうちに、こうしたハンディはあまり感じなくなっていきました(小学校にも団地の子はたくさんいたのですが)。

それでも、私は最後まで団地の子とは少し距離があり、孤立する傾向がありました。もっとも、何年経っても他の子と仲良くできないというのは、家が離れているからというよりはむしろ、私のシャイな気質等々私自身に原因があったのだろうと思います。

2009年2月27日金曜日

引っ込み思案の原因、緘黙の原因

引っ込み思案についての英語圏の研究を読んでいると、私が姉妹サイトでお話している場面緘黙症の研究動向と共通する点を見つけました。

場面緘黙症Journal
(新しいウィンドウで開く)

■ 子どもの不安という点で共通

引っ込み思案児には、不安が強くて仲間集団に入っていけないタイプの子がいます。一方、場面緘黙症は、学校など特定場面で話せないという主に子どもの症状で、不安が関係していると考えられています。つまり、子どもの不安という点で両者は共通しているのです。

■ 原因論で重なる点、重ならない点

このため、原因論で重なる点があります。それは、引っ込み思案児や場面緘黙症児の不安が強い原因の一つとして、ハーバード大学の Jerome Kagan(ジェローム・ケイガン)教授らの研究が挙げられている点です。不安の強さには生物学的起源があるとか、不安が強い子は脳の扁桃体という部位が過敏である等々です。

ところが、同じ不安の原因論なのに、重ならない点もあります。それは、親の養育態度です。引っ込み思案の研究では、親の養育態度が原因の一つとして挙げられ、実証研究もそれなりにあるのに対し、場面緘黙症の研究ではそうではないのです(もっとも、親の養育態度が場面緘黙症の原因として挙げられないのは最近の英語圏の話で、日本語圏の文献では伝統的に親の養育態度が原因の一つとして指摘されています)。

どうしてこのような違いがあるのか、私には不思議です。引っ込み思案と場面緘黙症、厳密には違う研究分野ではあるのですが…。もっと文献を読み込んでいくと、分かってくるかもしれません。

2009年2月21日土曜日

無視され続けてきた引っ込み思案の問題

アメリカ・メリーランド大学に、引っ込み思案について数多くの研究成果を発表している「子どもと家族関係研究所」(Laboratory for the Study of Child and Family Relationships)があります。同研究所の論文はネット上で無料公開されており、引っ込み思案児について勉強するのに参考になります。

今回は、それらのうち次の論文を読んだ所感を書いてみたいと思います。

Rubin, H.K., & Coplan, J.R. (2007). Paying attention to and not neglecting social withdrawal and social isolation. Merrill-Palmer Quarterly, 50(4), 506-534.

レビュー論文というのでしょうか、引っ込み思案について、英語圏における先行研究をまとめたものです。

メリーラード大学のレビュー論文はこれまでにもいくつか読んだことがあるのですが、今回の論文は、引っ込み思案研究の歴史が詳細にまとめられている点が特徴です。

引っ込み思案は、英語圏においても、研究者、理論家、親、教師の間では無視されてきた歴史があるのだそうです。引っ込み思案児は目立たない等々の理由です。

欧米では、引っ込み思案は学校不適応という点でより大きな問題ではないかと思うのですが、それでもこういう状況だったのですから、日本ではどうなのだろうと考えてしまいます。

この論文は、研究の歴史の他にも、引っ込み思案は将来どういう結果をもたらすのか、引っ込み思案の概念、原因等について簡潔にまとめられています。これは、私のような一般人にとって、引っ込み思案について勉強するための最初の取り掛かりとして重宝します。英語なので敷居が高いですが、それほど高度な英文で書かれているわけでもありません。この手の文献は日本にもなかなかないと思うので、引っ込み思案について少し詳しく知りたいという方にはおすすめです。

2009年2月17日火曜日

友達がいなかった私と、運動(スポーツ)

私は運動(スポーツ)が全くの苦手だったのですが、それはもしかすると、友達がいなかったことが原因の一つではないかと思ったことがあります。

友達がいる男の子の多くは、学校の休み時間や放課後に、仲間と一緒にボール遊び等をしていました。ところが私はそうしたところに入れてもらえず、一人で過ごすことが多かったのです。

こうして周りの男の子は、私とは対照的にどんどん体力をつけ、お互いの親睦も深めていったのでした。

男の子が運動が苦手というのは難しいものです。特に小学校あたりでは、クラスでも友達が多い、人気のある男の子は大抵スポーツができる子でしたから。

もっとも、友達がいないならいないで、スポーツの習い事に通ったり(これは親の許可がないとできませんが)、一人で体力を鍛えたりするという手もないことはありません。何でもかんでも、友達がいなかったことのせいにするのも良くありません。

* * * * * * * * * *

こんな私でしたが、これなら好き!という運動がありました。

それは、散歩です。一人で考え事にふけりながら、歩くのが好きだったのです(今でも好きです)。

散歩なら友達がいなくてもできますし、いつでも自由に気ままにできます。一人でいることが好きな私の性にも合うものでした。

それにしても、散歩が好きな男の子というのは、どういうものでしょうか。「男の子なら、サッカー、野球、etc. だろ!散歩なんて…」なのか、「別に散歩が好きな男の子がいてもいいではないか、人それぞれ」なのか。

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(05/25/2010)

2009年2月11日水曜日

親の育て方が悪いのか

何か子どもに問題があると、「親の育て方が悪いのだ」と考える人は少なくないものと思います。友達がいない子についても、親の育て方に原因があるのでしょうか。

アメリカ・メリーランド大学に、引っ込み思案児について数多くの研究成果を発表している研究所があるのですが、その名も「子どもと家族関係研究所」(Laboratory for the Study of Child and Family Relationships)ときています。やはり、引っ込み思案は、子どもと家族との関係が原因なのでしょうか。

しかし、この研究所が発行する論文を読むと、必ずしもそうとも言えないことが分かります。親の養育態度に原因を求める研究も確かにあるのですが、その一方で、近年、こうした子には生物学的・生理学的な基盤があるのではないかという研究も出てきています(Rubin ら, 2007)。

このほか、『友達ができにくい子どもたち』という本では、友達ができにくい子の一つのタイプに「自閉症、アスペルガー症候群」が挙げられていますが、これこそ先天的なもので、親の育て方に原因を求めるのは的外れです。

友達がいないなど、何か子どもに問題があっても、私は安易に親の育て方が悪いとは考えないようにしています。私は発達心理学を体系的に学習したことがないばかりか、子育ての経験すらありません。

あと、犯人探しも、ほどほどに。もし本当に親の育て方に原因があるのだとしたら、それを修正するという支援方法も考えられますが、それにしても誰が悪いとか、そうしたことをあまり考えるのは、誰のためにもなりはしないでしょう。むしろ考えるべきは、今子どものために何ができるか、です。

[文献]

◇ Rubin, K.H. & Coplan, R.J. (2007). Paying attention to and not neglecting social withdrawal and social isolation. In G. Ladd (Ed.) Appraising the Human Developmental Sciences: Essays in Honor of Merrill-Palmer Quarterly. Detroit: Wayne State University Press.

◇ 石崎朝世、一松麻実子、前田美紀、湯汲英史、林祐一(1996)『友達ができにくい子どもたち-社会性の発達と援助法』鈴木出版。

2009年2月6日金曜日

白人のような真似しやがって→友達少ない

"Acting White" という言葉があります。訳すと、「白人のような振る舞い」といったところでしょうか。アフリカ系アメリカ人などが、例えば勉強して好成績をとったりすると、白人のような真似をしているとして、冷笑の対象にされてしまうことがあるのだそうです。

この "Acting White" を含む、黒人の学業不振などに関する研究を行っている人物の一人に Roland Fryer 氏という、ハーバード大学の新進気鋭の経済学者がいます(この方もまた、アフリカ系アメリカ人です)。

Fryer 氏と Paul Torelli 氏の論文(2006)を少し読んだのですが、それによると、全米9万人の中学高校の生徒を調べたところ、成績が平均 4.0(日本で言えばオール5に相当)だった黒人は、同じ 4.0 だった白人に比べて、同じ人種の友人の数が 1.5 人少なかったのだそうです。また、黒人は学業成績がある程度上がると、生徒からの人気度が下がることが分かったそうです(ヒスパニック系は、さらにその傾向が顕著です)。やはり "Acting White" は存在するのでしょうか。

いい成績をとったら友達ができにくくなるとしたら、友達とは一体何なのだろうと思います。友達を作ることは素晴らしいという一般的な価値観にも、疑問がわいてきます。

学業が盛んでない高校に進学してそこで勉強しようとすると、相当強い意志がないと大変だという話を俗に聞いたことがあるのですが、本当でしょうか。公立の小中学にはそうした学力格差は少ないだろうとは思いますが、やはり同じ市内でも地域によって伝統的に学力レベルが微妙に高いところと、そうでないところがあるとも聞きます。

かくいう私も、高校受験に失敗して、学業がそれほど盛んでない高校に進学しました。そこでは、よく先生が「周りに流されるな」とおっしゃっていたのが印象的です。私は先生のおっしゃることを実践していたのですが、少し周りから孤立しているように思われました。ただ、私の高校の場合、勉強熱心な生徒をさげすむ傾向まではなく、私はむしろ尊敬の念をもって見られていました(尊敬されるほど偉い人間ではないのですが…)。

[文献]

◇ Fryer, G.R. & Torelli. P. (2006). An Empirical Analysis of ‘Acting White’. Retrieved February 6, 2009, from http://ws1.ad.economics.harvard.edu/faculty/fryer/files/fryer_torelli.pdf

2009年1月26日月曜日

成人期早期に始まる「分裂病質人格障害」

「友達がいない」「引っ込み思案」というのはあくまで状態像を示すものであり、診断名や臨床単位ではもちろんありません。それは、「不登校」や「ひきこもり」が診断名ではないことと同じです。

ところで、「家族の一員であることを含めて、親密な関係を持ちたいと思わない、またそれを楽しく感じない」等の特徴を持つ「分裂病質人格障害」というものがあるそうです。これは成人期早期に始まるもので、このブログで扱っている問題(引っ込み思案児。主に幼稚園児や小学生を中心に、中学校やそれ以降の学年も視野に入れる)とは少しずれるのですが、ご紹介しておきます。

といっても、私は専門家ではなく、この人格障害を説明できるほどの専門知識を持っているわけではありません。そこで、この人格障害について分かりやすく説明してある本を見つけましたので、該当ページにリンクを貼っておきます。

↓ 「分裂病質人格障害」の説明(Google ブック検索へのリンクです)

◇ 岡堂哲雄(編)(1998)『臨床心理学』日本文化科学社による説明
新しいウィンドウで開く

◇ 長田久雄(編)(2006)『臨床心理学30章』日本文化科学社による説明
新しいウィンドウで開く)。

◇ 飯田英晴、岩波明(2008)『心理学がよーくわかる本』による説明
新しいウィンドウで開く)。

なお、友達がいない人はみな人格障害や病気の可能性があるとは、もちろん私は考えていません。また、診断は医師が行うものです。診断基準に当てはまりそうでも、医師が診断すると違った結果になるかもしれないので、注意しましょう。

2009年1月22日木曜日

相手が嫌がる、だからこそやる

■ ロール・プレイング・ゲームで、人の気持ちを知る

友達ができにくい子どもたち』では、社会的スキル訓練の一つに、「ロール・プレイング・ゲーム」が挙げられています。

ロール・プレイング・ゲームといっても、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のようなテレビゲームの話ではありません。

「ロールプレイ」とは役割を演じるという意味です。

ですから、ロール・プレイング・ゲームとは、「たとえば自分と相手との立場を変えさせ、役を演じさせたり」(上述書、138ページ)するゲームです。「こういう中で、互いの役割や気持ちに気づけるようになり、その後の関係に思いやりなどが生まれ、円滑に進むようになるとされています」(上述書、138ページ)と同書には書かれています。

相手の嫌がることを平気でするような子に対し、「自分がそういうことされたらどういう気持ちになるか、考えてみなさい!」というお説教がなされることがあります。この訓練では、それを身をもって体験するということでしょう。

■ 相手が嫌がる、だからこそやる

ところが、世の中には、色々な子どもがいるものです。私の子ども時代、あるいじめっ子は、「自分がそんなことされたらどう感じるか、考えてみなさい!」というお説教に対して、こう答えていました。

「自分が同じことされたら、さぞ嫌だろう。だからこそ、やるんだ。相手が嫌だと感じるからこそ、やるんだ」

こうした子に、ロール・プレイング・ゲームは意味をなさないように思われます。もっとも、こうした子は少数派かもしれませんが。

2009年1月18日日曜日

友達がいない子と、あだ名

あだ名。

本名とは別に、その人の容姿や性質などの特徴から、他人がつける名。ニックネーム。あざな。

(『大辞泉』より)

友達がいない子には、あだ名がつけられないことが多いかもしれません。クラスでも目立たない、クラスメイトからあまり注目されることのない子です。上の『大辞林』の定義にもあるように、あだ名は本名とは別に他人がつけた名ですから、注目されない子に、わざわざ他人が別の名をつけるようなことはないわけです。男の子なら○○君と、名字で呼ばれることが多そうです。

一方、友達がいない子でも、いじめられっ子の場合、ネガティブなあだ名をつけられることも多いかもしれません。クラスメイトから注目されることはあっても、悪い意味で注目される子です。

■ あだ名は得るもの?

私は英語はよく分からないのですが、英語圏では、あだ名をつけられるということを、"get a nickname" とか "acquire a nickname" と言うそうです。get や acquire というと、「手に入れる」とか「得る」という意味ではないでしょうか。英語圏では、あだ名はつけられるというより、得るものなのでしょうか。

■ あだ名でいじめがなくなる?

私が小学校高学年のとき、いじめがクラスで問題化したことがありました。このとき、クラスメイトたちが集まって、どうすればいじめがなくなるか、保護者同伴のもとで話し合ったことがあります。結論は、「クラスメイトにあだ名をつけて呼ぶようにする」でした。どうしてこのような結論に至ったのか、あいにく覚えていません。

2009年1月12日月曜日

友達がいなかった子と成人式、同窓会

成人式は、小学校や中学校の頃の同級生と再会する機会でもあります。住民票に記載のある新成人の住所をもとに、各地域ごとに式が行われることが多いからでしょう。このため、成人式とセットで同窓会が開かれることもあるという話も聞きます。

いろいろなサイトを見て回っていると、親しい友達がいなかった人の中や、小中学校の頃いじめを受けた人の中には、成人式に出るべきかどうか悩んだり、出なかったりする人もいることが分かります。

このほか、成人式当日に不登校、ひきこもり状態にあった人にお話を聞く機会があったのですが、彼らも、やはり成人式は欠席したそうです。

* * * * * * * * * *

ちなみに、私も成人式やそれに伴う同窓会は欠席しています。といっても、不登校やひきこもりが理由ではなく、18歳ぐらいのときに家庭の事情で住民票を移し、出身中学校の式に出られなかったことが理由です。[注]

成人式や同窓会に出てみたかったという後悔の気持ちもないこともありません。成人式当日も、辛かったものです。みんな成人式や同窓会でいい思いをするんだと思うと、目を覚まそうという気が起きず、情けないことに一日中寝ていました(疲れがたまっていたこともあるのですが)。

しかし、冷静に考えてみると、いじめられっ子だった私が昔のクラスメイトに会いに行くということは、自分からみすみすいじめを受けに行くようなもののようにも思えてきます。家庭の事情で住民票を写したことについては、成人式を欠席する格好の口実ができたと受け止めることもできないまでもありません。

[注] 自治体によっては、こうした場合、希望する成人式に出たいと連絡をすれば、受け付るところもあると聞きます。

2009年1月11日日曜日

転校後、方言を使わない(使えない)

私は小学4年生のときに転校を経験しました。それまで住んでいた関西地方から、遠く離れた地域に引っ越したのです。

関西で生まれ育った私は、関西弁に馴染んでいました。しかし、転校先の学校の子どもたちは当然ながら関西弁ではなく、その地域の方言で話していました。

その後、私はその引越し先の地域で何年も暮らし続けることになるのですが、いつまでたっても、その地域の方言を使うようにはなりませんでした。

その地域の方言を使うには心理的な抵抗を感じたからです。方言そのものが気に入らなかったこともありますが、それよりも大きかったのは、その地域の人に心を開けなかったことです。特に、転校後間もない頃にいじめに遭い、かなり苦しめられたことが大きく響いています。ああいう人たちが使っている言葉など、僕は使いたくない!ということです。こういう状況では、友達などできるはずもありません。

郷に入ればなんとやらで、その地域に住めば、方言もその地域の人と同じように使うのが賢いやり方なのでしょうが。大学1年の頃、高校のクラス会に出席したところ、関西の大学に進学した元同級生が、関西に引っ越して半年も絶たないうちに関西弁をペラペラ話しているのを見て、驚いたものです。こうでなくては、新しい引越し先での人付き合いはうまくはいかないのでしょう。

方言に限らず、私は流行の言い回しやイントネーションを真似ることもしません(と自分では思っています)。今でも人に心を開けないのが一つの理由なのでしょうか。

2009年1月7日水曜日

友達がいないのは性格に問題があるから?

「友達がいないのは、その人の性格(人間性)に問題があるから」という見方があるようです。その人が嫌われるような性格だから、皆が避けるようになり、友達がゼロになってしまったということのようです。こういう見方をする人は、どうも友達がいない人を良い目で見てはいないようです。

しかし、必ずしも友達がいない人が、性格(人間性)に問題があるとは言えないだろうと私は思います。

このブログは「友達がいない子」ですから、ここでは子どもに限定してお話しようと思います。

前回お話した『友達ができにくい子どもたち』によると、友達ができにくい子どもは、「ひとり遊びが好き」タイプ、「ひっこみ思案」タイプ、「ちょっとわがまま、ちょっと乱暴」タイプ、「落ち着きがない=多動」タイプ、「動きがゆっくり=寡動」タイプ、「発達に遅れがある」タイプ、「自閉症、アスペルガー症候群」タイプの7つに分けられるそうです。この分類を考えると、友達ができにくい子が、性格(人間性)に問題があるとは一概には言えないのではないでしょうか。

仮にその子が自分勝手でわがままであるとか、人に嫌われるような要素があったとしても、発達上の問題が何か関係しているのかもしれませんし、もしかしたら自閉症やアスペルガーなのかもしれませんから、その子を否定的な目で見るのではなく、もう少し心を広くもって見てあげることもできないだろうかと思います。

[関連ページ]

◇ 『友達ができにくい子どもたち』
◇ 友達がいない子の分類

2009年1月5日月曜日

『友達ができにくい子どもたち』

友達ができにくい子どもたち―社会性の発達と援助法今回は、『友達ができにくい子どもたち』という本の紹介です。

この本では「友達ができにくい子」を、(1)「ひとり遊びが好き」タイプ(2)「ひっこみ思案」タイプ(3)「ちょっとわがまま、ちょっと乱暴」タイプ(4)「落ち着きがない=多動」タイプ(5)「動きがゆっくり=寡動」タイプ(6)「発達に遅れがある」タイプ(7)「自閉症、アスペルガー症候群」タイプの7つに分類しています。

このブログで特に念頭に置いている引っ込み思案児は(1)(2)のタイプで、この本はもっと幅広い子ども達を対象にしています。

この本は、(1)(2)のタイプの子どもについては楽観的で、「今、友達がいなくてもまずは大丈夫」としています。私などはこのあたりについてどうなのかな、と思っています。特に「引っ込み思案」タイプについては、場合によっては、不安障害の可能性を視野に入れ、何らかの対応をとった方が良いのではないかという疑問を持っています(私は著者と違って専門家ではないのですが…)。大人の不安障害やうつは子どもの頃に既に根がある場合がほとんどです(ニートひきこもりJournal大人の不安障害、うつの大部分は、子供の頃に根が」参照)。また、不安障害の一つとも言われる場面緘黙症の子も「引っ込み思案」タイプに入るだろうと思うのですが、こうした子の場合も早期介入が必要です(この本では、緘黙について言及がありません)。

私などは、もしかしたら子どもの頃、「この子は引っ込み思案なタイプだから、今、友達がいなくてもまずは大丈夫」と大人に放置され、友達が少ない、もしくはいない状態が続き、前思春期になると、今度は「もう親のわかる範囲っていうのはほんとに少ない」「本当に親が教えるべきこと以外は、好きにしなさい」とさらに放置され続けたのではないかと思えてきました。

この本を読んでいくうちに、私が子どもの頃に友達ができにくかったのは、不安が強いとか一人遊びが好きだとかいうことの他に、情緒の発達が未熟だったからではないかとか、運動が苦手だったり不器用だったりとしたことが原因だったのではないかとか、新しい発見がありました。それというのも、この本が、先にお話したように、幅広い子ども達を対象にしているからでしょう。

イラストも交え、保護者向けに分かりやすく書かれてあります。

2009年1月1日木曜日

遊び方が分からない子

■ 情緒障害で、友達と遊ぶのが難しくなった

私は場面緘黙症という情緒障害にかかり、学校で極端に緊張してしまうようになると、友達と遊ぶのが難しくなりました。このため、同年代の子どもと遊ぶ技術とでも言うべきものが、衰えていくようになりました。

■ 友達がいなくなり、遊び方が分からなくなった

さらに、友達がいなくなると、同年代の子ども・若者との遊び方が分からなくなってしまいました。自由に遊ぶ時間が与えられると、何をすればよいか分からず、ぼんやりと無為に時間を過ごしていました。

子どもは、年齢が上がるにつれて遊び方も変わっていくのでしょうが、私はいつまでたっても友達がいないままでしたから、次第に同年代の子ども・若者が何をして遊んでいるのかさっぱり分からなくなっていったのでした。

これは後に、人との接し方が分からないという、自分のコミュニケーション能力や社会性への自信のなさにつながりました(もっとも、これだけが自信のなさの原因ではありませんでした)。

■ 遊ばなくなった分、勉強には集中できたが…?

ただ、友達と遊ばなかった分、勉強には集中できました。今でも、もしあのとき友達と遊んでいたら、学業がおろそかになり、後に志望の学校に入学できなかったのではないかと思い、ヒヤリとすることがあります。あるいは、もしかすると悪い遊びを覚えてしまっていたかもしれません。

一般に、遊んでいるというのはあまり褒められたことではなく、勉強をしているというと良い子というイメージがあります。「遊んでないで勉強しなさい」と言うことはありませんが、「勉強しないで遊びなさい」と言うことならあります。私は友達とはろくに遊ばず勉強に力を入れていたのですが、このあたり、どうなのでしょうか。