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2009年3月31日火曜日

内気なまま育ってしまう子と、そうでない子

論文読んでました。読んだ感想のようなものをまとめます。

Degnan, K.A., Henderson, H.A., Fox, N.A., & Rubin, K.H. (2008). Predicting Social Wariness in Middle Childhod: The Moderating Roles of Childcare History, Maternal Personality and Maternal Behavior. Social Development, 17(3), 471-487.

これは引っ込み思案児や友達がいない子というよりも、行動抑制的な子、言ってみれば内気な子に関する研究です。ですが、引っ込み思案児の中には、行動抑制的傾向から友達ができない子もおり、全く無関係ではありません。

この論文、私には難しくて、細かいところがどうも分からないのですが(私は専門家ではないので…)、概要はなんとか把握しました。

研究結果より、特定の母親の特徴や行動傾向が、子どもの行動抑制を強化させている…とは、確かに考えられます。しかし、別の可能性も考えられます。例えば、もしかしたら、母親と子どもの間で不安な気質が遺伝しているのかもしれません。この論文の著者は、遺伝の関与の可能性は重視していないようですが…。行動抑制に関する研究動向は欧米の場面緘黙症に関する研究でも引用されることが稀にあるのですが、こちらではむしろ遺伝が重視される傾向があると感じます。この差は何なのでしょうか。

行動抑制に関する研究動向は、母親との関係に注目したものばかりではないと思います。ただ、今回の論文は、メリーランド大学の「子どもと家族関係研究所」(Laboratory for the Study of Child and Family Relationships)らの研究グループによるものなので、こうしたグループによる研究は、自然とそうしたことがテーマになるのかな、と思います。

※ 内容を少し書き改めました。それから、テンプレートも変えました(2009年4月1日)。

2009年3月19日木曜日

友達がいない子の卒業式

私は、小学校卒業時に友達が2人いたものの、中学、高校卒業時には友達がゼロでした。

友達が少なかった私にとって、卒業式で仲間と離れ離れになることへの特別な感情はほとんどありませんでした。これまでの自分自身について思いをめぐらしたり、受験のことを考えたりと、ほとんど自分のことばかりを考えていました。卒業式が終わった後、小学校の時は友達と一緒に写真を撮ったりしましたが、中学、高校では友達がいなかったので、そのまま家までまっすぐ帰ってしまいました。

学校を卒業して何年も経った後、ひょんなことから、卒業アルバムに寄せ書きのページがあるらしいという話を知りました。そこで昔の卒業アルバムを引っ張り出したところ、なるほど、確かに余白のページがありました。もちろん、私の寄せ書きページは真っ白です。このようなことを、卒業して何年も経った後に始めて知るとは、妙なものです。

卒業式特有の仲間との連帯感とは私はほとんど無縁でした。友達なんていない方が楽しいと常々思っていた私も、このときばかりは少し寂しい思いもしないではありませんでした。私は1か0かで割り切れる人間ではなく、中途半端なところがあります。もっとも、今にして思うと友達づきあいを捨てた分、何か得られるものもあったはずで、これはこれでよかったのではないかとも思います。

それにしても、友達がいる、多い子どもが一体どういう卒業式を迎えているのか、私にはよく分かりません。

2009年3月17日火曜日

友達を持つ唯一の方法は…

友達を作る唯一の方法は、友達になることである。

The only way to have a friend is to be one.

アメリカの哲学者、詩人、ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson, 1802-1832)の言葉です。

含蓄が深い言葉です。

その人と友達になりたいと思ったら、自分からその人の友達になれ、ということでしょうか。相手にとっていい友達になりたいものです。

もっとも、これは相手の気持ち次第という面もあります。いくらこちらがその人の友達になろうとしても、相手にその気がなければどうしようもありません。このように、こちらの気持ちは必ずしも相手には届かないかもしれませんが、その人と友達になりたいのであれば、こうした努力が大事なのでしょう。

相手から自分の友達になりたいと思ってくれないかなと、ただ期待だけしているようではなかなか難しそうです。しかし、極端に内気な子だと、どうしても自分から行動に移せないことも多いかもしれません。

もっとも、普通はここまで深く考えなくても、自然に友達ができることも多いようにも思います。もちろん、中には特別な努力をしなければ友達ができない子もいるだろうと思うのですが。

[蛇足]

彼女(彼氏)を作る唯一の方法は、彼氏(彼女)になることである

上のパロディです。この人とお付き合いがしたいと思ったら、自分からその人の恋人になれ、ということでしょうか。難しそうです。やはり友達を作るのと、恋人を作るのは違います。

[関連記事]

◇ その人に好かれたいなら、好意を示せ、尽くせ、与えよ

2009年3月10日火曜日

友達は努力して作るものか、自然にできるものか

友達って努力してつくるものじゃないですよね。自然に、なんとなく気があってっていう感じだと思うんです。

石崎朝世編(1996)『友達ができにくい子どもたち』、すずき出版。

友達は努力して作るものなのでしょうか、それとも自然にできるものなのでしょうか。

私自身は、10年以上友達がいなかった時期があるため、友達は自然になんかできないと考えたくなります。ですが、世の中には自然に友達ができたという人も大勢いるようです。

おそらく、両方ではないかと思います。努力して作ることもあれば、自然にできることもあるのでしょう。ただ、いくら努力して友達を作ろうとしたところで、結局は相手と気が合わなければ、その人と友達として長く付き合うことはできないのではないかと思います。

友達ができにくい子どもたち』を読むと、子どもによって、特別努力をしなくても自然に友達ができやすい子と、そうでない子がいるのではないかと思えてきます。子どもの頃、自然に友達ができたという人は、おそらく前者のタイプだったのでしょう。私のように、ほとんど友達がいない子ども時代を送ってきた人は、意識的に友達を作らないようにしてきた人を除けば、後者のタイプだったのでしょう。

友達ができにくい子どもの場合、本人が特別な努力をしたり、場合によっては、親が手助けをしたり専門家が介入したりしないと、なかなか友達を作ることはできないだろうと思います。上述書でも、「だから、そういう感覚が遅れてしまっていたらやっぱり親が、そういう場をつくっていくように努力する」と、ある母親は話しています。※「そういう感覚」とは、「自然に、なんとなく気があって」という感覚のことです。

2009年3月3日火曜日

みんなと、離れたところに住んでた

幼い頃、私が住んでいた家の近くには団地がありました。団地には子どももたくさん住んでいました。

私が住んでいた家はその団地近くの小さな一戸建てでした。団地とは少し離れたところにあったため、団地の子どもたちと交わるには、(小さな子どもにとっては)少し遠出をしなければなりませんでした。もっとも、団地まで遠出をしなくても、近所には少ないながらも子どもがいたので、私はそうした子たちと静かに遊んでいました。こうして団地の子どもたちはたくさん友達を作って仲良く遊んでいたのに対して、私は少ない子どもたちと静かに遊んでいたわけです。

私が幼稚園に入ったとき、ちょっとしたショックを受けました。幼稚園には団地の子がたくさんいて、そうした子はすでにお互い顔見知りで仲良くしていたのです。一方の私は、園に知っている子どもはほとんどいなかったので、みんなの間に溶け込むのに遅れをとることになってしまいました。

しかし、こうしたハンディを大きく感じていたのは最初だけで、その後小学校に入学し、子どもたちと2年、3年と一緒に同じ学校で過ごすうちに、こうしたハンディはあまり感じなくなっていきました(小学校にも団地の子はたくさんいたのですが)。

それでも、私は最後まで団地の子とは少し距離があり、孤立する傾向がありました。もっとも、何年経っても他の子と仲良くできないというのは、家が離れているからというよりはむしろ、私のシャイな気質等々私自身に原因があったのだろうと思います。