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2008年11月30日日曜日

友達がいない子の分類

友達がいない子については、分類が行われています。

様々な分類があり、私も全てに目を通したわけではないのですが、現在のところ私の調べた限り、友達がいない子の分類はおおむね次の2つのタイプに分けることができます。

◇ 葛藤的内気(conflicted shyness)、社会的無関心(social disinterest)、活動的孤立(active-isolation)

Coplan 氏らは、一人で遊んでいる子どもを、葛藤的内気(conflicted shyness)、社会的無関心(social disinterest)、活動的孤立(active-isolation)の3つのタイプに分類しています(Coplan, Prakash, O'Neil & Armer, 2004)。

葛藤的内気は、他の子どもと交流を持ちたいにもかかわらず、あまりに不安や恐れが強くて、社会的交流に参加できないタイプです(some children play alone because even though they would like to interact with others, they are too anxious or fearful to initiate social interaction)。

社会的無関心は、社会的交流を行う強い動機を持っていないタイプです(other children play alone because they do not have a strong motivation to engage in social interaction)。

活動的孤立は、遊び相手に交流をしたいと思われていないタイプです(other children play alone because their play partners do not wish to interact with them)。

Rubin 氏らは、活動的孤立(active-isolation)と社会的引きこもり(social withdrawal)に二つに分け、さらに社会的引きこもりを不安性孤立(anxious solitude)と社会的無関心(social disinterest)に分けて論じていますが(Rubin & Coplan, 2007)、Coplan 氏らの分類とかなり一致しています。

◇ スキル欠如型、不安型、自発型

坂野雄二氏は、「引っ込み思案」を、スキル欠如型、不安型、自発型の3つのタイプに分類しています(坂野, 1989)。

スキル欠如型は、「社会的スキルが欠如しているため、あるいはその発達が遅れてしまっているために非社会的となり、対人的な場面で後退傾向が顕著となってしまったケース」です。ここで言う「社会的スキル」とは、いわば「うまく付き合っていくことができるために必要な社会的・対人的技能」を指しています。

不安型は、「単に社会的スキルの欠如にとどまらず、引っ込み思案の背景に、対人的・社会的場面あるいは集団場面に対する過度の不安や緊張の認められるケース」です。Coplan 氏が言う「葛藤的内気」と同じと考えてよいでしょう。

自発型は、「いわば自分から自発的に引っ込み思案的な行動・態度を示すケース」です。Coplan 氏が言う「社会的無関心」と同じと考えてよいでしょう。

なお、Harrist 氏らは、幼児期の社会的引きこもり(social withdrawal in early childhood)を、受動的不安(passive-anxious)、非社交的(unsociable)、活動的孤立(active-isolates)の3つのタイプに分類していますが、これは坂野氏の分類とほぼ同じものです(Harrist, Zaia, Bates, Dodge & Pettit, 1997)。

* * * * * * * * * *

このように様々な分類があるのですが、どの論者の分類にも共通するのが、不安が強くて友達がいない子と、自分で友達と一緒にいないことを選択している子を分けていることです。

いずれにせよ、一口に友達がいない子といっても様々なタイプがあり、タイプ別に分けて考えることが必要です。

[文献]

◇ 坂野雄二 (1989). 無気力・引っ込み思案・緘黙, 黎明書房.
◇ Coplan, R.J., Prakash, K., O'Neil, K., & Armer, M. (2004). Do you "want" to play? Distinguishing between conflicted shyness and social disinterest in early childhood. Developmental Psychology, 40(2), 244-258.
◇ Harrist, A.W., Zaia, A.F., Bates, J.E., Dodge, K.A., & Pettit, G.S. (1997). Subtypes of social withdrawal in early childhood: sociometric status and social-cognitive differences across four years. Child Development, 68(2), 278-294.
◇ Rubin, H.K. & (2007). Coplan, J.R. (2007). Paying Attention to and Not Neglecting Social Withdrawal and Social Isolation. In G. Ladd (Ed.) Appraising the Human Developmental Sciences: Essays in Honor of Merrill-Palmer Quarterly. Detroit: Wayne State University Press.

2008年11月29日土曜日

友達がいない子とは

友達がいない子。

英語圏の学術界では、"socially withdrawn children" などと呼ばれています。

日本語圏では、「社会的引きこもり児」「引っ込み思案児」「孤立児」「集団に入れない子」などと呼ばれてきました。「社会的ひきこもり児」は "socially withdrawn children" の直訳ですが、近年社会問題となっている、自宅にこもって社会参加していない若者のことではありません。

主に、保育所から幼稚園ぐらいの子どもが対象に論じられることが多いですが、小学生や中学生の子どもが対象にされることも珍しくありません。

友達がいないというのは、あくまで状態を表すもので、診断名ではありません。

坂野雄二氏は、次の5つのケースを「引っ込み思案」から除いて考えています。(1)知的な発達の遅れのあるケース、(2)自閉症および自閉症傾向と思われるケース、(3)身体疾患や身体に障害の認められるケース、(4)緘黙、(5)反社会的な孤立(坂野, 1989)。

このブログでは、そのあたりはあまりこだわらず、友達ができない子全般について、主に幼稚園児や小学生を中心に、中学校やそれ以降の学年の子も視野に入れてお話しようと今のところ考えています。

[関連記事]

◇ 「友達」とは何か

[文献]

◇ 坂野雄二 (1989). 無気力・引っ込み思案・緘黙, 黎明書房.

2008年11月23日日曜日

自己紹介・メールアドレス

富重洋(とみしげ・ひろし)と言います。これはハンドルネームで、実名ではありません。

メールアドレスは、以下の通りです。

smjournal77@yahoo.co.jp

私は幼少の頃はとても大人しく、友達が少ない子でした。小学校4年になると場面緘黙症(選択性緘黙)という情緒障害になり(自己診断ですが)、ますます友達を作るのが難しくなりました。中学2年から大学卒業後に至るまでのおよそ10年間、友達が一人もいませんでした。

男性です。昭和50年代の生まれです。大学時代の専攻は経済学であり、教育関係については独学です。

現在、複数のサイトを運営しており、それらのサイトから広告収入を得ています。将来的には運営サイトをさらに増やし、広告収入で経済的自立を果たすことができればと考えています。とても難しいことでしょうが、一般的な働き方をするのは、私にとっては、さらに難しいです。

私が運営しているサイトのうち、主なものを挙げると、次の通りです。

[場面緘黙症Journal]
http://smjournal.com/

[場面緘黙症Journal(ブログ)]
http://smjournal.blog44.fc2.com/

[ニートひきこもりJournal]
http://nhjournal.blog37.fc2.com/

はじめに

このブログでは、友達がいない子についてお話します。

友達がいないことは問題なのか、そうでないのか、私自身結論が出ていません。

「人がひとりでいるのは良くない」(『聖書』創世記)(日本聖書協会, 1954)

友達がいない子は、「非社会的問題行動」「非社会的行動問題」などとして、教育の分野で問題にされることがあります。そのままにしておくと、社会性の発達に影響があると考えられるからです。にもかかわらず、こうした子は不登校等の子に比べて目立たないために、見落とされがちなのではないでしょうか。私は、こうした子たちに適切な支援が行われることが必要だろうと考えることがあります。

「つまらぬ友と付き合うくらいなら一人で生きよ」(海軍将校コリングウッド)(Smiles, 1998)

ただ、友達を作らないというのも一つの生き方だろうとも思います。友達がいない、少ないというのもその子の個性であり、必ずしも否定するべきものではないのではないかと思うこともあります。

友達がいない子についての研究や、私自身の体験等から考えたことについて、まとめていきたいと考えています。日記形式のブログには、あまりしないつもりです。友達がいない子については、私はまだまだ勉強中です。間違い等があれば、遠慮なくご指摘ください。

◇ 日本聖書協会. (1954). 旧約聖書. In (1971). 日本聖書協会. 聖書, 1-1326.
◇ Smiles, S. (1998). 自助論 (竹内均, Trans.). (Original work published 1859)