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2009年1月26日月曜日

成人期早期に始まる「分裂病質人格障害」

「友達がいない」「引っ込み思案」というのはあくまで状態像を示すものであり、診断名や臨床単位ではもちろんありません。それは、「不登校」や「ひきこもり」が診断名ではないことと同じです。

ところで、「家族の一員であることを含めて、親密な関係を持ちたいと思わない、またそれを楽しく感じない」等の特徴を持つ「分裂病質人格障害」というものがあるそうです。これは成人期早期に始まるもので、このブログで扱っている問題(引っ込み思案児。主に幼稚園児や小学生を中心に、中学校やそれ以降の学年も視野に入れる)とは少しずれるのですが、ご紹介しておきます。

といっても、私は専門家ではなく、この人格障害を説明できるほどの専門知識を持っているわけではありません。そこで、この人格障害について分かりやすく説明してある本を見つけましたので、該当ページにリンクを貼っておきます。

↓ 「分裂病質人格障害」の説明(Google ブック検索へのリンクです)

◇ 岡堂哲雄(編)(1998)『臨床心理学』日本文化科学社による説明
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◇ 長田久雄(編)(2006)『臨床心理学30章』日本文化科学社による説明
新しいウィンドウで開く)。

◇ 飯田英晴、岩波明(2008)『心理学がよーくわかる本』による説明
新しいウィンドウで開く)。

なお、友達がいない人はみな人格障害や病気の可能性があるとは、もちろん私は考えていません。また、診断は医師が行うものです。診断基準に当てはまりそうでも、医師が診断すると違った結果になるかもしれないので、注意しましょう。

2009年1月22日木曜日

相手が嫌がる、だからこそやる

■ ロール・プレイング・ゲームで、人の気持ちを知る

友達ができにくい子どもたち』では、社会的スキル訓練の一つに、「ロール・プレイング・ゲーム」が挙げられています。

ロール・プレイング・ゲームといっても、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』のようなテレビゲームの話ではありません。

「ロールプレイ」とは役割を演じるという意味です。

ですから、ロール・プレイング・ゲームとは、「たとえば自分と相手との立場を変えさせ、役を演じさせたり」(上述書、138ページ)するゲームです。「こういう中で、互いの役割や気持ちに気づけるようになり、その後の関係に思いやりなどが生まれ、円滑に進むようになるとされています」(上述書、138ページ)と同書には書かれています。

相手の嫌がることを平気でするような子に対し、「自分がそういうことされたらどういう気持ちになるか、考えてみなさい!」というお説教がなされることがあります。この訓練では、それを身をもって体験するということでしょう。

■ 相手が嫌がる、だからこそやる

ところが、世の中には、色々な子どもがいるものです。私の子ども時代、あるいじめっ子は、「自分がそんなことされたらどう感じるか、考えてみなさい!」というお説教に対して、こう答えていました。

「自分が同じことされたら、さぞ嫌だろう。だからこそ、やるんだ。相手が嫌だと感じるからこそ、やるんだ」

こうした子に、ロール・プレイング・ゲームは意味をなさないように思われます。もっとも、こうした子は少数派かもしれませんが。

2009年1月18日日曜日

友達がいない子と、あだ名

あだ名。

本名とは別に、その人の容姿や性質などの特徴から、他人がつける名。ニックネーム。あざな。

(『大辞泉』より)

友達がいない子には、あだ名がつけられないことが多いかもしれません。クラスでも目立たない、クラスメイトからあまり注目されることのない子です。上の『大辞林』の定義にもあるように、あだ名は本名とは別に他人がつけた名ですから、注目されない子に、わざわざ他人が別の名をつけるようなことはないわけです。男の子なら○○君と、名字で呼ばれることが多そうです。

一方、友達がいない子でも、いじめられっ子の場合、ネガティブなあだ名をつけられることも多いかもしれません。クラスメイトから注目されることはあっても、悪い意味で注目される子です。

■ あだ名は得るもの?

私は英語はよく分からないのですが、英語圏では、あだ名をつけられるということを、"get a nickname" とか "acquire a nickname" と言うそうです。get や acquire というと、「手に入れる」とか「得る」という意味ではないでしょうか。英語圏では、あだ名はつけられるというより、得るものなのでしょうか。

■ あだ名でいじめがなくなる?

私が小学校高学年のとき、いじめがクラスで問題化したことがありました。このとき、クラスメイトたちが集まって、どうすればいじめがなくなるか、保護者同伴のもとで話し合ったことがあります。結論は、「クラスメイトにあだ名をつけて呼ぶようにする」でした。どうしてこのような結論に至ったのか、あいにく覚えていません。

2009年1月12日月曜日

友達がいなかった子と成人式、同窓会

成人式は、小学校や中学校の頃の同級生と再会する機会でもあります。住民票に記載のある新成人の住所をもとに、各地域ごとに式が行われることが多いからでしょう。このため、成人式とセットで同窓会が開かれることもあるという話も聞きます。

いろいろなサイトを見て回っていると、親しい友達がいなかった人の中や、小中学校の頃いじめを受けた人の中には、成人式に出るべきかどうか悩んだり、出なかったりする人もいることが分かります。

このほか、成人式当日に不登校、ひきこもり状態にあった人にお話を聞く機会があったのですが、彼らも、やはり成人式は欠席したそうです。

* * * * * * * * * *

ちなみに、私も成人式やそれに伴う同窓会は欠席しています。といっても、不登校やひきこもりが理由ではなく、18歳ぐらいのときに家庭の事情で住民票を移し、出身中学校の式に出られなかったことが理由です。[注]

成人式や同窓会に出てみたかったという後悔の気持ちもないこともありません。成人式当日も、辛かったものです。みんな成人式や同窓会でいい思いをするんだと思うと、目を覚まそうという気が起きず、情けないことに一日中寝ていました(疲れがたまっていたこともあるのですが)。

しかし、冷静に考えてみると、いじめられっ子だった私が昔のクラスメイトに会いに行くということは、自分からみすみすいじめを受けに行くようなもののようにも思えてきます。家庭の事情で住民票を写したことについては、成人式を欠席する格好の口実ができたと受け止めることもできないまでもありません。

[注] 自治体によっては、こうした場合、希望する成人式に出たいと連絡をすれば、受け付るところもあると聞きます。

2009年1月11日日曜日

転校後、方言を使わない(使えない)

私は小学4年生のときに転校を経験しました。それまで住んでいた関西地方から、遠く離れた地域に引っ越したのです。

関西で生まれ育った私は、関西弁に馴染んでいました。しかし、転校先の学校の子どもたちは当然ながら関西弁ではなく、その地域の方言で話していました。

その後、私はその引越し先の地域で何年も暮らし続けることになるのですが、いつまでたっても、その地域の方言を使うようにはなりませんでした。

その地域の方言を使うには心理的な抵抗を感じたからです。方言そのものが気に入らなかったこともありますが、それよりも大きかったのは、その地域の人に心を開けなかったことです。特に、転校後間もない頃にいじめに遭い、かなり苦しめられたことが大きく響いています。ああいう人たちが使っている言葉など、僕は使いたくない!ということです。こういう状況では、友達などできるはずもありません。

郷に入ればなんとやらで、その地域に住めば、方言もその地域の人と同じように使うのが賢いやり方なのでしょうが。大学1年の頃、高校のクラス会に出席したところ、関西の大学に進学した元同級生が、関西に引っ越して半年も絶たないうちに関西弁をペラペラ話しているのを見て、驚いたものです。こうでなくては、新しい引越し先での人付き合いはうまくはいかないのでしょう。

方言に限らず、私は流行の言い回しやイントネーションを真似ることもしません(と自分では思っています)。今でも人に心を開けないのが一つの理由なのでしょうか。

2009年1月7日水曜日

友達がいないのは性格に問題があるから?

「友達がいないのは、その人の性格(人間性)に問題があるから」という見方があるようです。その人が嫌われるような性格だから、皆が避けるようになり、友達がゼロになってしまったということのようです。こういう見方をする人は、どうも友達がいない人を良い目で見てはいないようです。

しかし、必ずしも友達がいない人が、性格(人間性)に問題があるとは言えないだろうと私は思います。

このブログは「友達がいない子」ですから、ここでは子どもに限定してお話しようと思います。

前回お話した『友達ができにくい子どもたち』によると、友達ができにくい子どもは、「ひとり遊びが好き」タイプ、「ひっこみ思案」タイプ、「ちょっとわがまま、ちょっと乱暴」タイプ、「落ち着きがない=多動」タイプ、「動きがゆっくり=寡動」タイプ、「発達に遅れがある」タイプ、「自閉症、アスペルガー症候群」タイプの7つに分けられるそうです。この分類を考えると、友達ができにくい子が、性格(人間性)に問題があるとは一概には言えないのではないでしょうか。

仮にその子が自分勝手でわがままであるとか、人に嫌われるような要素があったとしても、発達上の問題が何か関係しているのかもしれませんし、もしかしたら自閉症やアスペルガーなのかもしれませんから、その子を否定的な目で見るのではなく、もう少し心を広くもって見てあげることもできないだろうかと思います。

[関連ページ]

◇ 『友達ができにくい子どもたち』
◇ 友達がいない子の分類

2009年1月5日月曜日

『友達ができにくい子どもたち』

友達ができにくい子どもたち―社会性の発達と援助法今回は、『友達ができにくい子どもたち』という本の紹介です。

この本では「友達ができにくい子」を、(1)「ひとり遊びが好き」タイプ(2)「ひっこみ思案」タイプ(3)「ちょっとわがまま、ちょっと乱暴」タイプ(4)「落ち着きがない=多動」タイプ(5)「動きがゆっくり=寡動」タイプ(6)「発達に遅れがある」タイプ(7)「自閉症、アスペルガー症候群」タイプの7つに分類しています。

このブログで特に念頭に置いている引っ込み思案児は(1)(2)のタイプで、この本はもっと幅広い子ども達を対象にしています。

この本は、(1)(2)のタイプの子どもについては楽観的で、「今、友達がいなくてもまずは大丈夫」としています。私などはこのあたりについてどうなのかな、と思っています。特に「引っ込み思案」タイプについては、場合によっては、不安障害の可能性を視野に入れ、何らかの対応をとった方が良いのではないかという疑問を持っています(私は著者と違って専門家ではないのですが…)。大人の不安障害やうつは子どもの頃に既に根がある場合がほとんどです(ニートひきこもりJournal大人の不安障害、うつの大部分は、子供の頃に根が」参照)。また、不安障害の一つとも言われる場面緘黙症の子も「引っ込み思案」タイプに入るだろうと思うのですが、こうした子の場合も早期介入が必要です(この本では、緘黙について言及がありません)。

私などは、もしかしたら子どもの頃、「この子は引っ込み思案なタイプだから、今、友達がいなくてもまずは大丈夫」と大人に放置され、友達が少ない、もしくはいない状態が続き、前思春期になると、今度は「もう親のわかる範囲っていうのはほんとに少ない」「本当に親が教えるべきこと以外は、好きにしなさい」とさらに放置され続けたのではないかと思えてきました。

この本を読んでいくうちに、私が子どもの頃に友達ができにくかったのは、不安が強いとか一人遊びが好きだとかいうことの他に、情緒の発達が未熟だったからではないかとか、運動が苦手だったり不器用だったりとしたことが原因だったのではないかとか、新しい発見がありました。それというのも、この本が、先にお話したように、幅広い子ども達を対象にしているからでしょう。

イラストも交え、保護者向けに分かりやすく書かれてあります。

2009年1月1日木曜日

遊び方が分からない子

■ 情緒障害で、友達と遊ぶのが難しくなった

私は場面緘黙症という情緒障害にかかり、学校で極端に緊張してしまうようになると、友達と遊ぶのが難しくなりました。このため、同年代の子どもと遊ぶ技術とでも言うべきものが、衰えていくようになりました。

■ 友達がいなくなり、遊び方が分からなくなった

さらに、友達がいなくなると、同年代の子ども・若者との遊び方が分からなくなってしまいました。自由に遊ぶ時間が与えられると、何をすればよいか分からず、ぼんやりと無為に時間を過ごしていました。

子どもは、年齢が上がるにつれて遊び方も変わっていくのでしょうが、私はいつまでたっても友達がいないままでしたから、次第に同年代の子ども・若者が何をして遊んでいるのかさっぱり分からなくなっていったのでした。

これは後に、人との接し方が分からないという、自分のコミュニケーション能力や社会性への自信のなさにつながりました(もっとも、これだけが自信のなさの原因ではありませんでした)。

■ 遊ばなくなった分、勉強には集中できたが…?

ただ、友達と遊ばなかった分、勉強には集中できました。今でも、もしあのとき友達と遊んでいたら、学業がおろそかになり、後に志望の学校に入学できなかったのではないかと思い、ヒヤリとすることがあります。あるいは、もしかすると悪い遊びを覚えてしまっていたかもしれません。

一般に、遊んでいるというのはあまり褒められたことではなく、勉強をしているというと良い子というイメージがあります。「遊んでないで勉強しなさい」と言うことはありませんが、「勉強しないで遊びなさい」と言うことならあります。私は友達とはろくに遊ばず勉強に力を入れていたのですが、このあたり、どうなのでしょうか。