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2008年12月10日水曜日

「友達」とは何か

「友達がいない子」というブログを立ち上げておきながら、「友達」とは何かについてまだ書いていませんでした。

■ 「友達」の意味

友達の定義は様々でしょうが、例えば、『大辞泉』の「友達」の項目には、次のように書かれてあります。

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友(ほうゆう)。友。

「互いに心を許しあって」とありますが、「互いに」という点に注目することは重要です。例えば、AさんとBさんがいて、AさんはBさんのことを友達だと思っていても、Bさんがそう思っていなければ、両者は友達とは言えないでしょう。

だとすると、面白いことに、誰にも心を許さず、「あの人は自分の友達ではない」「あの人も自分も友達ではない」「自分には友達が誰もいない」と考えている人(例。私)は、友達が一人もいないということになります。

■ 補足・「引っ込み思案」は、厳密には友達がいないこととは異なる

私がこのブログで特に意識しているのは、これまでもお話してきた、子どもの「引っ込み思案」(socially withdrawl)」と呼ばれる行動傾向です。

「引っ込み思案」の定義も様々ですが、例えば、坂野雄二氏は、「引っ込み思案」を次のように定義しています。

人前で話ができず、だれかが話しかけても、うなずいたり簡単なことばで返事をするだけで自分からは積極的に話すことができない、遊び場面に自発的に入ることができずに傍観者として周囲から見ているだけである、集団になじめない、仲間となじめずに孤立していることが多い、人とほとんど交わらない、などといった、社会的・対人的な場面で示される非社会的で後退的な行動傾向(坂野, 1989)

このように、厳密には、「引っ込み思案」は、友達がいないこととは異なります。もっとも、こうした引っ込み思案児には、「互いに心を許し合って、対等に交わっている人」や「一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人」はいないでしょうから、友達がいないと言えるでしょう。

[関連記事]

◇ 友達がいない子とは

[文献]

◇ 坂野雄二 (1989). 無気力・引っ込み思案・緘黙, 黎明書房.