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2008年12月8日月曜日

友達なんて、いない方が楽しい!

昨年の3月に、姉妹ブログで「友達なんて、いない方が楽しい!」という記事を書いたところ、反響をいただきました。その内容を、このブログに転載しようと思います(一部編集しています)。私の過去についてのことです。

友達はいた方がいいのか、いなくても構わないのか、私はまだ結論を出せないでいます。

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小学5年生の新しいクラスでも、友達はなかなかできませんでした。前の学校の友達M君以来、半年以上にわたって友達がいない状態が続いていました。

最初は、友達ができず、寂しい思いをしたものです。

しかし、そのうちに感じ方が変わってきました。友達が欲しいだなんて、これっぽっちも思わなくなりました。友達がいない学校生活の方がずっと楽しいという、相当変わったことを本気で考えるようになっていったのです。

■ 友達がいないことを、前向きに受け止めよう!

これをプラス思考と言うのでしょうか。私は友達がいないことを前向きに受け止めるようになっていきました。

友達がいないことの大きなメリットは、自分の時間を自由に使うことができることです。友達がいなくなったことによって、好きな妄想…もとい、考え事を存分にすることができるようになりました。

また、私は休み時間に一人計算ドリルを解いて、算数を得意科目にしていました。しかし、もしこのとき私に友達がいたとしたらどうでしょうか。友達付き合いに縛られ、ドリルを解くことなどできなかったかもしれません。

■ 教師や親は、「友達がいない学校生活も、素晴らしい!」と教えるべきだ

私は、「友達がいない学校生活はつまらない」という固定観念にとらわれていたのではないかと考えるようになりました。そして、そうした固定観念から自由になり、「友達がいない学校生活も楽しい!」と気づくに至ったとき、自分の学校生活に初めて充実感を得ることができるようになりました。

そうすると、今まで私に固定観念を植え付けようとしていた教師や親は、いったい何だったのだろうと不遜な疑問を抱くようになりました。

世の中には、友達と過ごすことに喜びを感じるタイプと、一人でいることに喜びを感じるタイプと、二通りの人がいるのではないかと私は考えていました。しかし、圧倒的に多くの教師や親は、「友達がいない学校生活はつまらない」と教えるために、後者のタイプの子どもが自分の学校生活はつまらないものと思い込み、苦しんでいるのではないか、そんなことを考えるようになっていました。

こういう次第ですから、友達が欲しいだなんて、これっぽっちも思わなくなりました。

■ 変人富重

こんなことを本気で考えていた私は、相当な変わり者だったのでしょう。

だいたい、場面緘黙児のような不安が強くて人付き合いが苦手なタイプの人は、寂しがり屋なものです。私はその寂しがり屋というところが、決定的に欠けていたのかもしれません。

■ その後の富重

最後に、また少し先の話をします。

私の上のような考えは、中学、高校と進むにつれて、ますます強くなっていきました。「友達は、いた方がいいよ。友達は一生の財産になるよ」といろんな先生方が私におっしゃいましたが、私はその度に「この先生も、分かってない…」とがっかりするだけでした。

特に、高校では「志望の大学に合格するためには、周りに流されてはいけない」という格好の理由付けがあったため、私にとって友達作りは忌むべきものとさえなりました。

しかし、大学に入ると少し迷いが出てきました。友達もいないような学生は、就職できないというのです。「じゃあ、就職対策に友達作っておく必要があるかな。でも、そんな動機で友達を作ったら、相手に失礼ではなかろうか」こんなことを本気で考えていました。それでも、「勉強が友達、勉強が恋人」と一心不乱に勉強に励んでいた学生時代が、私にとって一番幸せでした。…怖いですか?こんな人。