私は友達と一緒にいるよりも、むしろ友達を作らずに独りでいることを好む変わった子どもでした。ですが、そんな私でも、人恋しさを感じることが全くなかったわけではありません。私は0か1かの極端な人間ではないので。
たまに私に親しくしようとしてくれる人がいると、なんだかとてもありがたく思えてくるものです。そして、その人に非常に強い感謝の念を持つようになってしまいもしました。相手のことが自分の恩人のようにさえ思えてきたこともあります。
相手は私よりも友達が多いですから(通常友達がゼロの私より友達が少ない人はいません)、相手にとっては私は数ある知人の一人にすぎないのかもしれません。しかし、私にとっては違います。孤独な私に親しくしてくれる貴重な人なのです。こうして、自分の相手に対する気持ちと、相手の自分に対する気持ちの間に開きが出てきます。
このような状態で、自分の気持ちが言動として現れると、相手はどう感じるでしょうか。「富重君は、僕(私)のことを、こんなに思ってくれてたんだ!」と相手は感激するかもしれません。しかし、「こんなに僕(私)のことを強く思われると困る。富重君は、僕(私)に依存しすぎでは。富重君の気持ちが重い」となってしまうかもしれません。
私の場合、実際のところどうだったかというと、なにしろ場面緘黙症でまともに口を利くことさえままならぬ極端に内気な子どもでしたから、自分の気持ちが言動に現れることもなく、結局自分の気持ちが相手に伝わったことはほとんどなかったのではないかと思います。これはこれで、後悔が残ります。
[緘黙] 大学に入る準備 [ストーリー]
4 日前

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